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日記

平成28年9月17日の日本昔話

鳥の海の開拓

太古の昔、まだ神々が地上を治めていた頃。 雄物川(おものがわ)の流れる今の秋田県の横手平野には、一面の湖が広がっていた。この湖には水鳥や山鳥が多く棲み、
また湖に棲む鱒(マス)の群れを狙って大鷲も飛来した。
それでこの横手の湖は“鳥の海”とも呼ばれていた。
さて、それから時代がずっと下って、人間がこの辺りに多く住みつくようになった。
そんなある時、松島の塩釜明神の子孫と名乗る、
明永長者(みょうえいちょうじゃ)、明保長者(みょうほちょうじゃ)の二人の兄弟がこの地を訪れた。
二人の兄弟は鳥の海を見渡し、この湖の水を日本海の流せば、その後に広大な田畑を作れると考え、この鳥の海を干拓することを思い立った。
しかし、そのためにはたくさんの人手が必要だ。
そこで二人は、たくさんの酒を用意して七日間にわたる祭りを始めた。
すると、賑やかな太鼓と笛の音に誘われて多くの人々が集まり、
最後には黒山のような人だかりが出来た。頃合いを見計らって二人はやぐらの上から群衆にこう叫んだ。「鳥の海を干して田畑を作れば、
食うに困ることも無くなり、醜い争いをしないで済む。
どうじゃ皆の衆、鳥の海の水を流そうではないか!!」
この呼びかけに答え、鳥の海の干拓は始まった。人々は谷を削り、山に穴を開け、女や子供は歌を歌い、踊って景気をつけた。
こうして長い年月をかけて工事は進み、とうとう堰(せき)を切って鳥の海の水を流す日がやって来た。
長者の合図で堰が切られると、鳥の海の水は怒涛となって日本海に注いだ。そして水が引いた後の鳥の海は、果てしなく広がる肥沃な土地に変わった。
大地には米や麦がよく実り、横手平野は末永く栄えていった。
そして二人の長者は、横手の御岳山(みたけやま)の上から、この黄金色に波打つ平野を眺めて、今でも百姓たちの暮らしを見守っているということだ。
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